ウルトラセブン


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円谷プロ制作の超人気ヒーロー


であるが、巷では彼のことを

「ウルトラマンセブン」


と呼ぶ人が結構多い


間違えてはいけないが「ウルトラセブン」でありマンは要らない


ではこのような名前が浸透したか?

それは言うまでもなく、彼以外(派生の21)は除けばウルトラ〇〇というヒーローがセブン系統しかいないからだ


拍車をかけるように彼の息子も「ウルトラ「マン」ゼロ」だ


なぜ彼がウルトラマンと名前がつかないかはそれは元々ウルトラマンシリーズはウルトラマン単体で終わり、セブンは独立して作られた番組だからだ

しかし1971年帰ってきたウルトラマンでマン、セブンの世界観が一体化したことでウルトラシリーズとしての基盤が作られた
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それから長らくウルトラ〇〇のウルトラ戦士が登場しなかったことでセブンもウルトラマンセブンと後の人から誤解されるのは無理ない話だ


余談であるがウルトラマンエースも企画時はマンがついておらず、ウルトラエースとして企画、制作されていたがウルトラエースが商標登録されていたため、マンをつけた

ウルトラ〇〇ならばウルトラ作品以外でも付けられても致し方ない名前なのだ・・・
(実際ウルトラという名前自体東京オリンピックのときの流行語ウルトラCから取られていたものだし)


そんなことで実現しないウルトラマンセブン、思い出は億千万というロックマンのステージ曲の替え歌で広く浸透したウルトラマンセブン


ではあるが実は意外なところで円谷プロを救ったという経緯がある


それはウルトラマンの海外進出を大幅に遅らせた悪名名高きチャイヨー・プロダクションとの版権争い、円谷プロ当時社長円谷昴氏がタイにある映像制作会社チャイヨー・プロダクションに昭和ウルトラシリーズの海外進出権を譲渡したという話で裁判沙汰となった、日本、タイの最高裁では円谷プロ敗訴という流れだったが2014年アメリカカリフォルニアでの裁判にてその書類自体の信憑性が問われ、ついに円谷プロは逆転勝利した

その根拠としてウルトラセブンの名前が「ウルトラマンセブン」として書かれていたことなどが挙げられた
(この他にウルトラQをウルトラマン1と書かれていたなど、疑問点が多く、通信履歴や資料を調査した結果、信ぴょう性がないものとされたのだ)

この結果、現在ウルトラマンは海外進出を戦隊(パワーレンジャー)や仮面ライダーに大幅に遅れたが中国を始め少しずつではあるが勢力を拡大できている


ありがとう、ウルトラマンセブン、君は意外なところで活躍したヒーローだ!!!